高倉健 たかくら けん
本名:小田剛一(たけいち)
1931年〈昭和6年〉2月16日 - 2014年 〈平成26年〉11月10日 午前3時49分(83歳没)悪性リンパ腫 東京都内の病院で死去
俳優・歌手
愛称:健さん
身長180cm
体重71kg
血液型B型
高倉プロモーション所属
配偶者: 江利チエミ(1959年 - 1971年)
養女: 2014/05- 小田貴月
1955年:東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社
1956年:デビューで映画初主演
1964年:『日本侠客伝』
1965年:『網走番外地シリーズ』
1973年:『現代任侠史』
1975年:『新幹線大爆破』
1976年:『君よ憤怒の河を渉れ』
1977年:『八甲田山』
1977年:『幸福の黄色いハンカチ』
1978年:『野性の証明』
1980年:『動乱』
1980年:『遙かなる山の呼び声』
1981年:『駅 STATION』
1982年:『海峡』
1983年:『南極物語』
1994年:『四十七人の刺客』
1998年:紫綬褒章
1999年:『鉄道員(ぽっぽや)』
2006年:文化功労者
2012年:『あなたへ』
2013年:文化勲章
未完 映画『風に吹かれて』
健さんも莫迦娘にひっかかって「此の彼の世」から消されたが、親族がナイス・フォロー
週刊新潮WEB取材班
森健氏(54)。健さんの妹・敏子さんの息子、つまり甥に当たる人物で、職業はデザイナーだ。
東筑高校に在学中、英語教師の安永先生が、音読みの方が通りが良いからゴウイチにしろ、と。皆んなもそう呼べと指示して決まったそうです。なんとも大らかと言うか昭和と言うか」
「叔父のきょうだいは、長男・昭二、次男・剛一、長女・黎子、次女・敏子で男、女、男、女の順番。次男(高倉健)・次女(敏子)は身体が弱くて、事実、叔父は小学生のころ、1年間家で療養を余儀なくされています。それでもこの2人が長生きしている。人生わからないものですね」
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2020/11/19 沖縄タイムス 石垣市の小さな学校、富野(とみの)小中学校は、亡くなった俳優の高倉健さんと「文通」していたことがある。高倉さんが、運動会を見かけたのがきっかけ。贈られた双眼鏡は、宝物だ。かつて県内で高倉さんの映画看板を描いた職人も、突然の死去を惜しんだ。
■差出人を見て「同姓同名だと」
【石垣】高倉さんが富野小中を訪れたのは1999年。ちょうど開かれていた地域総出の運動会を遠巻きに見守った。お年寄りが縄をなって長さを競い、周囲が声援を送る風景に、「日本の誇れる運動会」と感激した高倉さん。ラジオ番組で紹介し、手紙と録音テープを同校に送った。
当時校長だった鳩間真英さん(67)=石垣市=は「差出人を見て、同姓同名がいるんだね、と話していたら大俳優から。本当にびっくりしたし、感動した」。そこから、子どもたちがお礼の言葉のテープを贈り、双眼鏡を贈られ、校庭になったシークヮーサーを贈る、と交流が続いた。
高倉さんは手紙で、「きれいな自然を見てほしいと双眼鏡を贈ったが、自分の目で見た方がいいのかな」といったことを、遠慮がちに書いていたという。大ファンになった鳩間さんは「シャイで人情味のある方だった。亡くなって大変さみしい」と話した。
双眼鏡は今も、在校生17人がカンムリワシの観察などに使っている。高倉さんの訃報を聞き、学校のサイトで縁を紹介した宮良健教頭は「高倉さんとの交流は今でも語り草。思い出と品を大事にします」と語った。
■思い込めて描いた「網走番外地 南国の対決」
高倉健さんと沖縄の縁は深い。健さんのスクリーンデビュー作は全編沖縄を舞台にした「電光空手打ち」(1956年)で、主役の空手青年を演じた。そして健さんの代表作「網走番外地」シリーズ第6作の「網走番外地 南国の対決」(66年)は、コザや守礼門でロケを行っている。
「健さんのファンだったし、ロケ地は沖縄。喜びの思いも込めて看板を描いた」と振り返るのは、豊見城市の看板製作業、大城敏夫さん(73)だ。20代から映画館に掲げる映画看板を描き始め、「網走番外地 南国の対決」も手掛けた。
映画全盛期に健さんや多くのスターを描いたことは、大城さんの強い思い出だ。「健さんと過ごした青春時代だった。身内が亡くなるのと同じくらい寂しい」と悲しんだ。
高倉健さん 石垣島の学校で偲ぶ 11月10日 15時39分 NHK
俳優の高倉健さんの命日の10日、生前、交流のあった石垣島の学校で、運動場に黄色いハンカチ100枚が掲げられ、子どもたちが高倉さんをしのびました。
21年前の平成11年、石垣島に滞在していた俳優の高倉健さんは、島にある富野小中学校を訪れ、偶然、開かれていた運動会を見学しました。
その後、高倉さんは、学校に双眼鏡を贈ったほか、手紙で子どもたちと交流し、双眼鏡や手紙は、今も大切に保管されています。
6年前に亡くなった高倉さんの命日10日、学校で「偲ぶ会」が開かれ、児童・生徒13人と教職員が1分間の黙とうをしました。
宮川るり子校長が、高倉さんの学校との関わりについて説明し、「感謝の気持ちを忘れず、人と人とのつながりを大事にして、夢に向かって頑張れる人になってください」と呼びかけました。
学校の運動場には、高倉さん主演の映画にちなんで、黄色いハンカチ100枚が掲げられ、最後に参加者全員で記念撮影を行いました。
中学1年生の女子生徒は「高倉健さんに『いいな』と思ってもらえた学校に通っていることを誇りに思いました」と話していました。