Singer

倉田まり子

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→坪田 まり子

キャリアカウンセラー、元歌手、元女優

本名:坪田 真理子

歌手・女優時代の芸名:倉田 まり子

生年月日: 1960年11月20日 (年齢65歳)

生まれ: 長崎県 諫早市

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中江を語る際、必ず思い出されるのが倉田まり子だ。愛人だと騒がれ、芸能界引退に追い込まれた彼女との関係は、中江に言わせればニュアンスが異なる。   「トップ50人の一人が『パルム』って月刊誌を出したいと言うんで、創刊号の表紙に倉田まり子さんを使え、インタビューもしろって言ったんだわ。だったら了解してやるよと。それで“インタビューします”って言うから行って、“会長、記念写真どうぞ”って言われて、肩に手を回してバチバチ撮ってもらったら、カメラマンが『フライデー』に売っちゃったわけよ。倉田さん、迷惑してるよな」    むしろ倉田は、   「政治家、財界人、官僚、裏社会のトップ、もう、あらゆる人と会ってるよ」    と語る中江の人脈のなかでは、微々たる存在だったということか。一方、その存在感が中江の胸に、いまも大きく刻まれているのは、田中角栄だという。

「滋賀の近江八幡から京都の予備校に通ってたの。国立大学を受けるつもりでね。だけど、都会の土地は上がると思って、18歳で京都に家買ったわけ。そしたら親が、その家を結婚する兄貴に貸してくれって言うのさ。いやになって、夏期講習の最後に名古屋に家出したの。で、三愛経済研究所ってとこで、朝から晩まで各銘柄のチャートを引く仕事をさせてもらった。スティーブ・ジョブズが“プログラムの本をガキのときに勉強したのが後々役に立った”とか書いてたけど、それと一緒でさ。株漬け、チャート漬けの日々で、三愛に出入りしていたすごい相場師の人たちに薫陶を受けたりしてね。で、3年して、京都に“2×2”っていうコンサル会社を作ったの」

中江の株の師匠は、名古屋にあった情報誌「三愛経済研究所」の所長だった。高校時代から会員になっていたという。

証券取引法は、無免許での株式売買の取次を禁止し、投資家に融資を行い、株を買わせる手法も禁じている。彼の身辺には、確実に司直の手が迫っていた。昭和59年8月、逮捕情報が流れる中、彼は知人のつてで“政財界の黒幕”と呼ばれた笹川良一に、 「捜査を潰せませんか」  と相談したという。 「すると、笹川さんは“すでに逮捕状が出ているらしい。フダが出たら、もう無理だ。ただ逮捕を1週間、引き延ばしてやることはできる”と言ってくれたんだ」

「赤坂の半玉(芸者見習い)を一本(一人前)にした。その際、国税が動いたことがあるんだ。自分の女にしたのはいいが、彼女、俺がやったカネで赤いベンツなんか買うもんだから、同僚だったお姐さんが焼き餅を焼いて国税にチクったんだな。その時は、薬品会社の社長に紹介してもらった田中角栄先生に相談した。すると、さすがは大蔵省に睨みを利かせていた角栄先生だ、その途端、国税の調査はピタッと止まった」

中江はすぐに3000万円の謝礼を持って、目白の田中邸へ挨拶に赴いたという。すると角栄は、彼を睥睨して言った。 「君みたいなガキから、カネはもらえない」  カネを突き返された中江は、かねてからの関心事について角栄に尋ねた。 「先生、この国の政治は、どこで決まっているんですか」  角栄は応接間の床を指し、こう答えた。 「ここだよ。中江君、ここでこの国のすべてが決まっている。国会じゃない、俺が決めてるんだ」  凄い迫力を感じたという。

 中江と言えば、もう一人、忘れてはいけない存在がいる。交際が報じられた人気タレント、倉田まり子である。写真誌「フライデー」は、創刊号で中江と倉田のツーショット写真を掲載した。まさに“美女と野獣”だ。  当時、倉田は人気絶頂のアイドルだったが、“テレ朝の天皇”と呼ばれた故・三浦甲子二(きねじ)テレビ朝日専務の紹介で、彼女のファンという中江に引き合わされた。後に、彼から目黒の豪邸をプレゼントされたと話題になる。実は、中江から7000万円を無利子で借りて倉田が建てたのだ。 「倉田まり子とは4、5回デートしただけ。男女の関係はないよ。もったいないことしたなあ。あんないい女、やっときゃよかったよ」  と振り返る中江。7000万円の顛末については、 「三浦さんから、“倉田は月2億円も稼ぎがあるのに、事務所からもらう月給はわずか200万円”と聞かされた。そして、新たなプロダクションを立ち上げて、移籍させるというから、移籍料名目で7000万円を貸してあげた。そのカネがどういうわけか、目黒の豪邸に化けたわけだ。この頃、俺のところの社員が“ファッション誌を創刊したいので、3000万、出してほしい”と言ってきた。“創刊号の表紙とインタビューで倉田を使い、俺をインタビューに同席させてくれるんだったら、出してやる”と答えたんだ」  インタビューは赤坂の料亭「新浅野」で行われた。会食の後、社員カメラマンがツーショットの写真を撮った。ところが、その記念写真が「フライデー」の創刊号に掲載されたというわけだ。 「実は、俺、『投資ジャーナル』が事件になったらヤバいと思って、倉田とのデートも遠慮していたんだ。でも、向こうが“それでも構わない”というから、逢瀬を重ねていた」  しかし倉田は、「投資ジャーナル事件」の被害者からのバッシングにいたたまれなくなる。また東京国税局から、“「投資ジャーナル」には約1億2000万円の所得税滞納金がある。中江から貴殿への融資金は同社の債権になるから、徴収のための資産保全として目黒の自宅を差し押さえる”旨の通知を受けたこともあり、豪邸を売却。7000万円を全額、国税に返納したとされる。その後、倉田は引退に追い込まれ、煌(きら)びやかな芸能シーンから姿を消した。

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 中江氏の住むアパートは6畳一間で家賃は4万8000円。近所付き合いは少なかったという。死の直前まで親交のあったジャーナリストの比嘉満広氏が語る。 「出所後しばらくは投資ジャーナル時代の部下が資金援助をしていたのですが、ここ数年はそれも途絶えて、生活保護を受給していました。

 中江の交遊の中でも最も影響を受けたのは、三浦甲子二テレ朝専務だった。週刊誌に歌手の倉田まり子とのあいびき記事が出るのを止めてもらって以来、中江は三浦のことを「オヤジ」と呼んで慕っていた。

2020/02/21日ゲ  20日午前8時すぎ、東京都葛飾区南水元のアパートから出火し、火元の部屋から黒焦げになった遺体が見つかった。警視庁は、遺体は投資顧問会社「投資ジャーナル」元会長の中江滋樹氏(66)とみて身元の特定を急いでいる。原因は寝たばこの不始末

 20代の頃から株でケタはずれの稼ぎがあった中江。息抜きと遊びで利用したのは赤坂の料亭と銀座のクラブだった。 人脈を広げた若い経営者と会うときは料亭「川崎」を利用した。

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