事件を見にゆく

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袴田事件

◆文庫本左ポケットに入れて知人宅訪問ついでに現場見学、線路で敷地がわかれているからわかりづらい

◆犯人が侵入したところが違うんだから(シャッター出口ではなく玄関から入っている)最初から偏見で捜査したんだろうな(死体場所から)

◆あの味噌屋は当時合併話でヤクザすら出入りしていた。マル暴刑事をひとりでも帳場に入れときゃよかったな

◆生き残り長女しか管理者がいない味噌樽にあとから証拠を仕込みに行ったやつの顔を見てみたい、お前だろ

◆静岡地裁で袴田さん無罪判断をした裁判官はその後、生活保護者になりました。再審では彼の判決文を採用すべき

 
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1966年(昭和41年)6月30日 静岡県清水市(現:静岡市清水区)で で起きた強盗殺人放火事件. 「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」(「株式会社王こがね味噌」→1972年-株式会社富士見物産)専務の自宅が放火. 焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体発見. 19歳長女生き残り(祖父母宅にいたからとする.

2020/12/23 再審決定取消 高裁決定破棄差戻 

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1966年に静岡県清水市(静岡市清水区)で味噌製造会社の専務の一家4人が殺された「袴田事件」で、犯人とされた袴田巌さん(84)に一審の静岡地裁で死刑が言い渡された際の裁判官の一人で後年、「袴田さんは無実だった」と告白して支援活動をした熊本典道さんが11月12日、福岡市の特養施設で死去した。享年83歳。(新潮)

2014/03/30 静岡県清水市(現静岡市清水区)で1966年、みそ製造会社専務の橋本藤雄さん=当時(41)=一家4人が殺害された「袴田事件」で、唯一助かった長女の橋本昌子さん(67)が28日に自宅で死亡していたことが29日、わかった。清水署は事件性なし、としている。電話しても出なかったため親族が自宅に行った。28日午後6時過ぎに死亡しているのを発見、119番通報した。すでに心肺停止状態で、消防は病院に搬送しなかった。遺体は清水署で検視が行われたとみられる。昌子さんは事件当時19歳で、祖父母の家にいたため難を逃れた。4~5年前に病気で夫を亡くしてから事件現場近くで1人暮らし。ときおり買い物に出掛ける程度で、近所付き合いはほとんどなく、市内に住む家族がたびたび様子を見に訪れていた。

 

公判

死刑→死刑→死刑

1966年(昭和41年) 08月18日 - 静岡県警察 袴田さんを強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕

1966年(昭和41年) 09月09日 - 静岡地検 強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴

1968年(昭和43年) 09月11日 - 静岡地裁 死刑判決

1976年(昭和51年) 05月18日 - 東京高裁 控訴棄却

1980年(昭和55年) 11月19日 - 最高裁 上告棄却

1980年(昭和55年) 11月28日 - 判決訂正申立

1980年(昭和55年) 12月12日 - 最高裁が判決訂正申立棄却決定送達.死刑確定

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2014年(平成26年) 03月27日 - 静岡地裁(村山浩昭裁判長) 再審開始と、袴田の死刑及び拘置の執行停止を決定. 袴田さん同日午後 東京拘置所から釈放

2018年(平成30年) 06月11日 - 即時抗告審 (東京高裁)静岡地裁決定取消.再審請求棄却

2020/12/23 再審決定取消 高裁決定破棄差戻 

2023/02/13 東京高裁 再審決定

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2023/03/20

「袴田事件」再審公判(國井恒志裁判長)開始へ 東京高検が最高裁への特別抗告を断念

2023/10/27 静岡地裁 再審開始 袴田さん出廷免除 補佐人*1姉秀子さん

*1 (補佐人)刑事訴訟法上、被告人と一定の身分関係にある者で、審級ごとに裁判所に届け出て被告人を補助し、その利益を保護する者。

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無実の叫び、57年 「無罪、願っている」 袴田事件再審確定

2023/3/20 20:48

自宅でくつろぐ袴田巌さん(左)と姉秀子さん=浜松市で2023年3月20日、袴田さん支援クラブ提供の動画から 拡大

自宅でくつろぐ袴田巌さん(左)と姉秀子さん=浜松市で2023年3月20日、袴田さん支援クラブ提供の動画から  20日午後4時半、東京・霞が関。記者会見を予定していた袴田事件の弁護団が司法記者クラブに到着した。ちょうどその時、事務局長の小川秀世弁護士の携帯電話が鳴った。

 相手は東京高検の検事。応答した小川弁護士の声は次第に大きくなった。念押しして電話を切り、会見場にいた支援者らに絶叫した。「特別抗告しないって!」。会見場は大きな拍手と「良かったー」という歓声に包まれた。情報は瞬く間に広がり、東京高検前で座り込みを続けていた支援者らは万歳を繰り返し「本当に良かった」と涙を流しながら抱き合った。

 「検察官は立派なもんだ。よく腹を決めてくれた。負ける気はしていなかったが、安心した」。袴田巌さん(87)の姉秀子さん(90)は浜松市の自宅からオンラインで会見に参加し、事件発生から57年後の「吉報」を冷静に受け止めた。弁護団長の西嶋勝彦弁護士は「検察側は特別抗告してあがいても恥をかくだけで、世論の動向を見ていた。再審公判で、袴田さんの無実を明らかにしたい」と声を詰まらせた。

 事件は1966年6月30日未明に起きた。静岡市(旧静岡県清水市)のみそ製造会社の専務宅で火災が発生し、焼け跡から、専務夫妻と中学生と高校生の子どもの計4人の遺体が見つかった。無理心中も疑われたが、遺体には刃物でつけられたとみられる傷があり、現金が奪われた形跡があったことから、静岡県警は強盗殺人・放火事件だと断定した。

 県警は近隣の約1400人を対象に聞き取りを進めたとされる。約1カ月半後、工場に住み込んでいた当時30歳の袴田さんを逮捕。当初は全面的に容疑を否認していたが、逮捕から20日目に「自白」。静岡地裁の初公判では否認に転じた。地裁は死刑判決を言い渡し、80年に最高裁で確定した。

 その後、事件は異例の経緯をたどる。…

2023/03/17(金) 袴田さん再審、特別抗告へ 検察、高裁決定に不服

 1966年に静岡県の一家4人が殺害された事件を巡り、死刑が確定した袴田巌さん (87) の第2次再審請求の差し戻し審で、東京高検が再審開始を認めた13日の東京高裁決定を不服として、最高裁に特別抗告する方向で検討していることが16日、関係者への取材で分かった。期限は20日。最高裁は2020年に高裁に差し戻す決定をしており、改めて再審の可否を判断することになる。  第2次請求では2度の開始決定が出たが、審理はさらに長期化する見通し。袴田さんは高齢で意思疎通も難しく、弁護側は特別抗告の断念を求めている。検察側への反発は必至だ。  再審開始には無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見することが必要になる。検察側はこれを満たさず、特別抗告の要件である判例違反などがあるとみているもようだ。  高裁は13日の決定で弁護側の主張を全面的に認め、確定判決が「犯行着衣」と認定した衣類5点の証拠を捜査機関側が捏造した可能性が極めて高いと指摘していた。

2020/10/20 asahi 袴田巌さんの弁護費用、CFで1806万円 再審目指す

 静岡県で1966年に一家4人が殺害された事件で、死刑確定後に釈放された袴田巌さん(84)について、支援者がネット上で弁護費用を募るクラウドファンディング(CF)を行ったところ、当初目標を大きく超える計約1806万円が集まった。期間限定で裁判費用を集めるCFでは最高額という。  20日に支援者らが都内で会見を開き発表した。オンラインで参加した袴田さんの姉ひで子さん(87)は「費用は親族が用意すべきですが、長い裁判でそうも参りません。ご支援ありがとうございます」と述べた。弁護団の小川秀世弁護士(静岡県弁護士会)は「お金の制約でできなかった実験や鑑定に使いたい。最高裁での再審開始に結びつけたい」と話した。  CFは、54年前に袴田さんが逮捕された日と同じ8月18日に支援者が呼びかけた。2カ月で1千万円の目標を掲げていた。寄付に応じたのは1510人で、20~40代の若い世代が目立つという。

 

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