#author("2024-01-10T00:30:10+09:00","","") [[日本の艦船]] *おくどうご2 [#z5ddc034] おくどうご2は、愛媛阪神フェリーが運航していたフェリー。後にダイヤモンドフェリーでも運航された。 概要 愛媛阪神フェリーの第二船として高知重工業で建造され、1973年4月に神戸 - 今治航路に就航した。 本船の就航により、おくどうごはダイヤモンドフェリーに用船された。 1976年4月、おくどうご3の就航により、ダイヤモンドフェリーに用船され、神戸 - 松山 - 大分航路に就航した。本船の就航によりフェリールビーは係船された。 1982年12月、来島どっくから用船したおくどうご6、おくどうご8の就航により、おくどうごとともに引退した。 その後、来島どっくに売却され、ドック時の予備船として用船されていたが、1987年に台湾のTaipong Steam Shipsに売却され、Happy Princessとして就航した。 1999年にフィリピンのネグロスナビゲーション(英語版)に売却され、Princess Of Negrosとして就航した。 2007年に解体された。 *おくどうご [#add11465] おくどうごは、愛媛阪神フェリーが運航していたフェリー。後にダイヤモンドフェリーでも運航された。 -船種 フェリー -船籍 日本(1972-1983) フィリピン(1983-2006) -所有者 愛媛阪神フェリー(1972-) -ダイヤモンドフェリー(-1983) -ネグロスナビゲーション(英語版)(1983-2006) -運用者 愛媛阪神フェリー(1972-1973) -ダイヤモンドフェリー(1973-1983) -ネグロスナビゲーション(英語版)(1983-2006) -建造所 高知重工業(第720番船) -母港 松山 -姉妹船 おくどうご2 -船級 JG -IMO番号 7225245 -改名 おくどうご(1972-1983) -Santa Florentina(1983-2006) 経歴 -起工 1971年 -進水 1972年 -竣工 1972年7月31日[1] -就航 1972年8月10日[1] -運航終了 1982年12月 -最後 2006年11月、解体 要目 -総トン数 4,445 トン -全長 118.0 m -垂線間長 111.0 m -幅 20.6 m -深さ 6.2 m -機関方式 ディーゼル -主機関 ダイハツ 4基 -推進器 2軸[1] -出力 10,000馬力 -航海速力 18.5ノット -旅客定員 1,050名 -車両搭載数 8トントラック40台、乗用車100台 #ref(Movie/愛情物語/ai06.png) #br #ref(Movie/愛情物語/ai07.png) #br #ref(Movie/愛情物語/ai08.png) #br #ref(Movie/愛情物語/ai09.png) #br 愛媛阪神フェリーの第一船として来島どっく高知工場[1]で建造され、1972年8月10日に神戸 - 今治航路に就航した。 1973年4月、おくどうご2の就航と同時にダイヤモンドフェリーに用船され、神戸 - 松山 - 大分航路に就航した。 1982年12月、来島どっくから用船したおくどうご6、おくどうご8の就航により、おくどうご2とともに引退した。 その後、海外売船され、1983年にフィリピンのネグロスナビゲーション(英語版)でSanta Florentinaとして就航した。 2006年11月に引退、解体された。 *就航航路 [#g46776a3] 愛媛阪神フェリー -神戸港(東神戸フェリーセンター) - 今治港 ダイヤモンドフェリー -神戸港(東神戸フェリーセンター) - 松山港 - 大分港 当初はフェリールビーと、後におくどうご2と就航した。 *船室 [#rc171889] -特等室(6名) -一等室(84名) -特二等室(180名) -二等室(780名) *事故・インシデント [#sa0d584a] 貨物船との衝突 -1979年1月18日、20時36分ごろ、神戸港から松山港に向かっていた本船は、瀬戸内海播磨灘を航行中、江埼灯台の西方10.4海里の地点で、同じく西航していた危険物運搬船菱恭丸と衝突した。右転した菱恭丸の船首が、後方から接近していた本船の左舷後部に後方から約75度の角度で衝突、衝突により、本船は左舷船尾のカーデッキおよびワゴンデッキの外板に凹傷と亀裂を生じ、菱恭丸は、船首楼甲板が圧潰、球形船首の水線部に凹傷を生じた。事故発生当時の天候は晴で、風力8の強い西風が吹いており、波浪がかなり高い状態だった。事故原因は、菱恭丸が、第三船を追い越す際に後方の見張りが不十分で、本船の接近に気づかず本船の前路に向けて大角度で転舵したこと、風の影響を受けやすい空倉状態で風下に落とされて進行したことで発生したが、本船が自船の前路に向かって進行して来る菱恭丸に対して衝突回避措置が不十分であったことも一因とされた 。