#author("2020-12-06T20:54:52+09:00","","")
[[事件を見にゆく]]

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*19481230 免田事件 [#v2f6358e]

1948年12月30日午前3時ごろ、熊本県人吉市で祈祷師夫婦(76歳男性・52歳女性)が殺害され、娘2人(14歳と12歳)が重傷、現金が盗まれた.

現場検証から犯行時刻は12月29日深夜から翌12月30日午前3時の間.

翌1949年1月13日、警察は熊本県球磨郡免田町(現・あさぎり町)在住の免田 栄(めんだ さかえ、1925年11月4日生まれ、当時23歳)を、玄米を盗んだ罪で別件逮捕.

同月16日には殺人容疑で再逮捕

この3日間あまりの間、警察は免田に拷問と脅迫を加え、自白を強要。同月28日に強盗殺人罪で起訴。免田は第1審の第3回公判で自白は拷問で強要されたものであり、事件当日には特殊飲食店の女性と遊興しておりアリバイがあるとして無罪を主張。

警察はアリバイの捜査を行うが、アリバイ証人に対し「一緒にいたのが翌日」というように証言を誘導させた。また、検察は証拠品である凶器の鉈、免田が犯行時に着ていて血痕が付着していたとされる法被・マフラー・ズボンなどを廃棄。

免田は、自分が犯人にされたのは、人吉署の益田刑事が売春の手伝いをしているのを知ってしまったからだと主張している

*公判 [#sab4eb9a]

-1950年3月23日[熊本地裁八代支部]死刑判決.免田控訴

-1951年3月19日[福岡高裁]控訴棄却.免田上告.

-1951年12月25日[最高裁]上告棄却

-1952年1月5日 死刑確定

--1968年、国会に死刑囚に対する再審特例法案が提出されるも翌年の1969年に廃案。その代わり、当時の法務大臣である西郷吉之助が、GHQ占領下で起訴された死刑確定事件6件7名に対して特別恩赦の検討を約束。免田も特別恩赦が検討されたが実現しなかった。

*再審 [#l9812f3a]

-再審請求 第5次請求まですべて棄却

-第3次請求:地裁では再審開始決定.検察の即時抗告により高裁で取消.

-第6次再審請求が承認、1979年9月27日に再審開始.

--アリバイを証明する明確な証拠が提示、検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられたことなどが指摘、1983年7月15日、発生から34年6か月後、死刑囚に対しては初となる再審無罪判決が言い渡される.
--刑事補償法に基づき、死刑確定判決から31年7か月の拘禁日数12,599日に対して免田に9,071万2,800円の補償金が支払われた。なおそれまでに、警察・検察は、いずれも免田が真犯人だとして本事件の再捜査を行わなかったため、真犯人は検挙されず、本事件は公訴時効が完成し、未解決事件.


*Add [#b66a892e]

未解決事件だから再捜査さすべき

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2020年12月5日、免田が福岡県大牟田市の高齢者介護施設で死去.95歳没


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