#author("2020-09-12T09:36:09+09:00","","")
#navi(日本の艦船)

[[Movie/聯合艦隊司令長官 山本五十六]]

**contents [#d781c613]

#contents

*戦艦・大和 [#m36abb6c]

#ref(yt.jpg)

-全長:263.0m
-全幅:38.9m
-乗員:3,332名
-排水量:72,809t

-速力:27.46kt
-航続距離:13,334km

-建造所: 呉海軍工廠
-建造費: 約137,802,000円(1936年3月 艦政本部試算)


**参加海戦 [#m2cca97a]

-ミッドウェー海戦
-マリアナ沖海戦
-レイテ沖海戦
-呉軍港空襲
-坊ノ岬沖海戦(沖縄戦沈没)

*宇宙戦艦ヤマト [#h70c3da6]

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#br
#ref(uyt.jpg)

-全長	265.8m 280m(『復活編』)
-全幅	34.6 m(『復活篇』では全幅が大幅に広くなっている)
-全高	77.0 m
-基準排水量	62,000 t
-最大速力
(通常航行時)	光速の99.9%

-乗員	114名(『ヤマト』)
-主機	波動エンジン×1基(『ヤマト』〜『完結編』)→6連波動エンジン×1基(『復活篇』)
-補機	補助エンジン×2基


*Add [#j345a077]

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「大和」に乗り込んだ軍医や衛生兵が所属したのは医務科で、旧日本海軍の分隊呼称でいうと第21分隊と呼ばれる部署です。ここはトップである軍医長を含めて軍医が7から8人、薬剤士資格を持つ薬剤士官が2人、衛生兵(現代の看護師)をまとめる士官の看護長が1人、そして衛生兵が20人の合計30人規模でした。
エックス線暗室(レントゲン室)や細菌検知室が設けられ、士官病室には隣接した専用の浴室とトイレがありました。
 また「大和」には、歯科医官が乗り込んでいたのも特徴でした。歯科医は1941(昭和16)年に「歯科医科士官」制度ができるまで、旧日本海軍では必要に応じて、民間の歯科医を嘱託として乗艦させていました。(乗りものニュース)

2019/12/05 ホノルル基地で銃撃(10:23 NHK)

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