#author("2020-08-21T16:14:59+09:00","","")
[[Movie]]

[[GLOVAL/KFT]]

*樺太1945年夏 氷雪の門 [#i7a09e36]

1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送後も継続された、ソ連軍の樺太(現サハリン)侵攻がもたらした、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期(真岡郵便電信局事件)を描いている

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樺太1945年夏 氷雪の門
-製作=JPM 配給=東洋映画
-1974/08/17 
-109分 カラー ワイド
-総指揮:三池信 小倉寿夫
-製作:望月利雄 森田康司
-企画:高木豊
-監督:村山三男
-助監督:山野辺勝太郎
-脚本:国弘威雄
-原作:金子俊男
-撮影:西山東男
-音楽:大森盛太郎
-美術:木村威夫
-照明:野村隆三
-編集:エディー編集室

-出演:二木てるみ 鳥居恵子 岡田可愛 藤田弓子

-2011年6月3日よりDVDレンタル開始

-配給	東映洋画部

*CAST [#z99296ed]
-関根律子 - 二木てるみ
-坂本綾子 - 藤田弓子
-斎藤夏子 - 岡田可愛
-藤倉信枝 - 鳥居恵子
-石田ゆみ - 野村けい子
-鳥貝啓子 - 今出川西紀
-堀江正子 - 八木孝子
-神崎孝子 - 相原ふさ子
-青木澄子 - 桐生かほる
-仲村弥生 - 木内みどり
-香取知子 - 岡本茉利
-手塚美沙子 - 大石はるみ
-三好とく - 真木沙織
-北野早苗 - 藤園貴巳子
-植中賢次 - 千秋実
-久光忠夫 - 若林豪
-仁木師団長 - 島田正吾
-鈴本参謀長 - 丹波哲郎
-吉崎大尉 - 三上真一郎
-清水連隊長 - 藤岡重慶
-村口副官 - 黒沢年男
-岡谷俊一 - 佐原健二
-関根辰造 - 今福正雄
-関根しず - 赤木春恵
-森本きん - 七尾伶子
-藤倉亮介 - 伊沢一郎
-安川徳雄 - 田村高廣
-安川房枝 - 南田洋子
-オサム - 水野哲
-中西清治 - 浜田光夫
-斉藤秋子 - 岡田由紀子
-菅原良子 - 柳川慶子
-菅原美保子 - 栗田ひろみ
-小松慶市 - 見明凡太朗
-神崎雄一 - 織本順吉
-仲村悦子 - 鳳八千代
-柳田 - 久野四郎
-高木 - 城山順子
-渡部 - 久米明
-林田千恵 - 北原早苗
-田尻中佐 - 岸田森

*Add [#lc2ec331]

愛国者ども、南樺太返還は千島返還ほど叫ばないな

戦争に負けたらさっさと逃げるのも勇気だよ、姐さん方

2020/08/21 asahi
 旧ソ連軍は終戦直前に日ソ中立条約を破棄して参戦。日本領の南樺太に侵攻した。8月20日朝、西岸の真岡の港には黒い軍艦が何隻も停泊し、艦砲射撃を仕掛けてきた。出勤前で自宅で朝食をとっていた木本さんは両親と逃れたが、目の前でソ連兵に射殺される女性らを目の当たりにした。
 そのころ、真岡の郵便局では業務をまっとうするため残った同僚9人が、青酸カリで命を絶った。最後の交信が「皆さん これが最後です さようなら さようなら」。木本さんは午後、職場に入ったとき、この悲劇を聞かされた。遺体はリヤカーで病院の裏に運ばれて仮埋めされ、しばらくして家族が掘り起こし、火葬したという。


「服毒後、意識を取り戻され現在(1973年)も生存される方」「たまたま引き揚げる家族を見送るために、砲撃直前、局を出られたと思われる方」「緊急連絡のために局を出られた方」たちを主人公とすることを念願していたが、取材に応じてくれた非番の交換手から、「生きのびた服毒者」の深い悔恨を知らされて断念するに至り、「12人編成が正しいと思われる」交換手の編成をあえて9人として生存者については触れないことにした。

ある自衛官の本籍は、南樺太だった、そんな戸籍を見たのは初めてであった。
なんかトラウマを抱えて生きてきたんだろうが、自衛隊に入ったことも納得
出来た。普通なら自衛隊なんかよせと言うんだがこの男だけには、何もいわなかった。

1945年(昭和20年)8月9日、ソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄し対日参戦。これは1945年(昭和20年)2月、米英首脳がソ連に対してナチス・ドイツ降伏3カ月後に対日参戦することを条件に、南樺太と千島列島を引き渡すという密約を与えたヤルタ協定に基づいて行われたものである。8月11日より南樺太に侵攻を開始した。8月14日のポツダム宣言受諾後も、8月22日に知取町で日ソ停戦協定が成立するまで侵攻を続けた。
日本政府は、1951年(昭和26年)9月8日に、北緯30度線以南の南西諸島、小笠原諸島、南樺太などの権利、権原及び請求権の放棄が明記されたサンフランシスコ講和条約を締結したが、引渡先は未記載である。そして、ソビエト連邦がサンフランシスコ講和条約への調印・批准を拒否し同条約の当時国でない為、条約の内容がソ連に適用される訳ではなく、日本は積極的な領土返還要求を行っていないものの、南樺太の領有権の帰属先は国際法上は未定のまま

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