#author("2020-01-25T10:22:36+09:00","","")
[[Movie]]

[[Agitator/北原怜子]]

*蟻の街のマリア [#f122b04a]


蟻の街のマリア
製作=歌舞伎座 配給=松竹
1958.12.07 
12巻 3,000m カラー 松竹グランドスコープ
製作:加賀二郎
監督:五所平之助
脚本:長谷部慶治
原作:松井桃楼
撮影:竹野治夫
音楽:芥川也寸志
美術:平川透徹
録音:岡崎三千雄
照明:平田光治
出演:千之赫子 南原伸二 佐野周二 渡辺文雄

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昭和二十五年、浅草の近く隅田川・言問橋のそばのバタヤ部落、蟻の街に一人の可愛いお嬢さんが訪れてきた。「何か私にすることない?私なんでもやるわ」バタヤたちの好奇と不審な目が光った。彼女の名は北原怜子--農学博士の父と優しい母をもつ健康な家庭の娘で、マリアの洗礼名をもつカトリック信者だが、この不幸な人々の集団を知って救いの手を差しのべようとやってきたのだった。蟻の街には立派な自治組織ができていた。会長を中心にバクチ打ちの五三と彼の女房、元大佐、オンリー上りなど、いずれも変った人間がよくまとまって将来に備え天引貯金さえしていた。これらの人々の結束を固め、指導しているのが先生と呼ばれる松木だったが、彼は飛込んできた怜子を利用し盛大なクリスマスを蟻の街で催し、毎朝新聞に取上げてもらおうと計画した。蟻の街は都庁から追立てを喰っていた。それをはねかえすにはジャーナリズムを先頭にした世論の同情が必要だったからだ。こうして怜子は、たとえ利用される小道具にもせよ、蟻の街の仲間入りができた。バタヤ部落を巡回しているゼノ神父とも知り合った。クリスマスは大盛況で先生の思い通りの成功をおさめた。怜子は部落の子どもたちに勉強を教えるようになった。夏休みになったころ、怜子は海へも山へも行けぬ子どもたちを箱根に連れて行ってやりたいと思い立ち、その資金集めにバタヤ車の梶棒を握った。彼女の真剣な姿を見て、今まで、お嬢さんの気まぐれと思っていた先生たちも、すっかり打たれた。箱根行きは実現し、やがて怜子、ゼノ神父、住民たちの協力で教会もできた。怜子のことを新聞で知ったというモンテンルパの死刑囚からの涙の手紙が、一層彼女に自信を与えた。怜子は、大人たちを説き伏せ、子どもたちの協力で、より不幸な人たちへの共同募金のために再び寒空をバタヤ車の梶棒を握った。が、過労は、間もなく彼女の胸を蝕んでいった。

隅田川畔のバタヤ部落に身を投じた、カトリック信者の一女性が胸を患い歿するまでを描いたもので、先頃芸術座の舞台で上演されたこともある実録である。原作は蟻の街の住人松居桃楼で、「炎上」の共同脚色者の一人長谷部慶次が脚色、「欲」の五所平之助が監督した。撮影は「浮世風呂」の竹野治夫。宝塚出身の新人・千之赫子がヒロインに抜擢されたほか、斎藤達雄・南原伸二・佐野周二・渡辺文雄らが出演する。(キネ旬)

隅田川畔のバタヤ集落に身を投じた、カトリック信者の一女性が胸を患い歿するまでを描いたもので、先頃芸術座の舞台で上演されたこともある実録である。原作は蟻の街の住人松居桃楼で、「炎上」の共同脚色者の一人長谷部慶次が脚色、「欲」の五所平之助が監督した。撮影は「浮世風呂」の竹野治夫。宝塚出身の新人・千之赫子がヒロインに抜擢されたほか、斎藤達雄・南原伸二・佐野周二・渡辺文雄らが出演する。

1958年製作/109分/日本
原題:Maria of the Ant Village
配給:松竹

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*STAFF [#x0280bf6]

-監督
五所平之助
-脚色
長谷部慶次
-原作
松居桃楼
-製作
加賀二郎
-撮影
竹野治夫
-美術
平川透徹
-音楽
芥川也寸志
-録音
岡崎三千雄
-照明
平田光治
-編集
長田信


*CAST [#k6279c18]

-北原怜子(さとこ・三女):千之赫子(ちの かくこ)((千之 赫子(ちの かくこ)1934/02/09-1985/06/18(51歳没)慢性呼吸不全 女優 東山女子高等学校(廃校)→宝塚音楽学校 元宝塚歌劇団所属 本名:若和田 光子(わかわだ みつこ)結婚前の旧姓:長尾 東千代之介夫人))

-斎藤達雄:怜子の父誠治(群馬大学・東京農業大学教授、経済学博士)

-夏川静江:怜子の母

-南原伸二:松木先生

-佐野周二:大沢会長

-桜むつ子:大沢の妻浪江

-三井弘次:岩さん

-多々良純:五三

-水原真知子:利恵(五三の妻)

-須賀不二男:ぐち安

-中村是好:西行

-星ひかる:赤寅

-永田靖:大佐

-浜村純:ピカソ

-丸山(美輪)明宏:ジャン

-岩崎加根子:キティ

-飯田蝶子:河津婆

-山岡久乃:常子

-和歌浦糸子:夏江

-初井言栄:浅野恵子

-エドワード・キーン:ゼノ神父

-ビル・ロス:若い神父

-草香田鶴子:北原家女中よし

-渡辺文雄:木崎

-浮田左武郎:毎朝新聞デスク

-和田文夫:中東新聞記者

-島田屯:都庁役人

-松本克平:都庁部長

*TV版 [#ida07938]


ここに人あり(第66回・第67回)蟻の町のマリア 前編・後編(蟻の街のマリア)
「蟻の街」といわれた隅田川畔にある貧しい街・バタヤ部落に身を投じ救援活動を続けたカトリック信者の女性。彼女が胸を患い29歳の若さで歿するまでを描く。「バタヤ部落の救済にあたった篤志家の北原玲子を描く。この作品は同時期に映画・舞台でも競作された。実話に取材した人間ドラマを扱ったオムニバスドラマシリーズ「ここに人あり」のなかの1作。ラジオ放送開始時から活躍し、一線を退いていた往年のNHKアナウンサー大羽仙外が番組解説を行ったシリーズでテレビ放送の利便性を生かし、時事的なテーマを取り上げた話も多い。【この項、文:のよりん】」【データ協力:のよりん】

-NHK GTV	月	1958/10/20~1958/10/27
21:30-22:00	放送回数	2回
(ここに人あり(第66回・第67回))

-出演	馬淵晴子(馬渕晴子)、忍節子、河野秋武、難波章子、嵯峨善兵、(解説・大羽仙外)
-脚本	外山凡平
-原作	松居桃楼(松井桃楼)
-局系列	NHK
-制作会社	NHK

>Document

-北原怜子
日本テレビ「知ってるつもり?!」1991年05月05日放送
-蟻の町のマリア 北原怜子
テレビ朝日「驚きももの木20世紀」1998年01月23日放送
-蟻の街のマリア
フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」1999年09月23日放送

*Add [#n4417afd]

北原怜子 きたはら さとこ

東京府豊多摩郡(現:東京都杉並区)生まれ.父:北原金司(群馬大学・東京農業大学教授、経済学博士)の三女/母:媖(えい)薬科大学卒(一男四女・次女交通事故死、長男戦後死亡).桜蔭高等女学校(現桜蔭中学校・高等学校)、昭和女子薬学専門学校卒業.1949年光塩女子学院内のメルセス会修道院にて受洗.洗礼名:エリザベト、霊名はエリザベト・マリア
1958年腎臓病(肺結核)で夭折.28歳没.墓所:多磨霊園


蟻の街(ありのまち)とは、1950年(昭和25年)1月頃、現在の隅田公園(東京都墨田区)の一角で、言問橋(ことといばし)のそばにあった廃品仕切場および「蟻の会」という労働者の生活協同体があった一帯を指す。マスコミ報道によって付けられた呼び名である。文献によってはアリの街、アリの町とも書く。1960年に東京都の代替地斡旋により、東京都江東区深川8号埋立地(現在の潮見)に移転した。


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 しかし、幸か不幸か、義兄の病気が予想以上に悪いために、どうしても千葉の方に転地療養をしなければならなくなりました。そのためには、五十年近くつづいた、花川戸でも古い高木商店を、一時閉鎖しなければならない立場になったのです。義兄と姉と二人の甥と一人の姪は、上総湊(かずさみなと)のさびしい漁村に移りました。父と母と私と妹の筆子は、上野のお寺の一室に、一時引き移らなければならないことになりました。
 いよいよ移転を始めるその日、私はこれこそほんとうに御旨に従うべき時が来たのだということを感じました。ほんの一時の身の回りの衣類を小さな風呂敷に一つ包んだだけで、私は「蟻の街」に入って行きました。もちろん「蟻の街のマリア」としてではなく、ただ一介のバタヤになりきるつもりでした。




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