Writer/野坂昭如
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[[Writer]]
#ref(s.jpg)
#br
*野坂昭如 [#x09cd663]
#ref(03.jpg,, 日本の首領 野望篇(1977年) 蓑輪良行役)
野坂 昭如
のさか あきゆき
1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成27年)12月9日(85...
神奈川県鎌倉市
早稲田大学第一文学部仏文科抹籍
作家
日本レコード大賞作詞賞(1963年)
直木三十五賞(1967年)
#ref(01.jpg)
*Add [#y3d8aa9d]
思考は好きだが、あの長文文章は苦手
神田共立講堂はよくでかけたもんたよしのり
#ref(02.jpg)
◆「昭ちゃんの妹よ、かわいがってあげてね」
かつてぼくには、二人の妹がいた。
ぼくは生まれるとすぐに、神戸へ養子にやられ、小学校五年に...
昭和十六年四月のことで、この妹は名前を紀久子といい、よく...
角力(すもう)の稽古でおそくなり、夕方、家へかえると、六...
養父母もおどろくほど、ぼくは紀久子をかわいがった。この年...
麻央のためにぼくは子守唄をつくったことがある。これは必ず...
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
悲しい涙 怖い涙
涙の一つ一つを
パパが拾ってあげるから
星のみえない空もある
花の咲かない庭もある
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでも麻央は 麻央なのさ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
さびしい夢や つらい夢
その夢の一つ一つを
パパが食べてあげるから
一人ぽっちの道を行き
冷めたい森に まよいこみ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでも麻央は 麻央なのさ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでもパパが みてるから
涙の一つ一つで
パパより大きく なるんだよ
◆「紀久子、天国へいけよ、天国へいくんだぞ」
昭和十六年十一月十四日の午後十一時、二階に一人寝ていたぼ...
ぼくは膝をガクガクふるわせながら、梯子のいちばん上に腰を...
二十分ばかりして、ふたたび玄関の戸がひびき、祖母の駈け寄...
二月三日が誕生日だから、十ヵ月余りの生命で、発育はきわめ...
まさか死ぬなどと、つゆ思えなかったから、ぼくはただ呆然と...
「紀久子は昨夜十一時四十分に死んだ。君は学校へいって、先...
「風呂へ入って、なんともちいさな麻央の骨格をみる時、これ...
このちいさな死について、前にぼくは贖罪の心といったが、当...
紀久子の死因は、急性腸炎とされ、もともと、虚弱な体質だっ...
赤ん坊がすぐに死んでしまうという脅えは、いまだに消えない...
◆子ども2人で焼跡にほうり出され
しかし紀久子は、まだしあわせであった。紀久子が死んでしば...
紀久子の記憶は、よく肥り、絵にかいたような明るい赤ん坊と...
からだはちいさかったが、恵子は病気をせず、次第に激しくな...
三月十七日、四月二十二日の空襲はまぬかれたが、六月五日の...
疎開先へ恵子を迎えに行き、そこは大阪の郊外で、やがて夏に...
◆食欲の前には、すべて愛も、やさしさも色を失った
西宮の、山の近くに部屋を借り、一度、空襲を受けたら、とて...
貯水池と、そこから流れでる小川があり、夜になると無数の蛍...
ぼく自身十四歳で、食べ盛りなのだ。水ばかりといっていい粥...
日増しに、それでなくても痩せていた恵子は、骨があらわにな...
気まぐれな隣人が、恵子に水あめを箸にまきつけてくれれば、...
恵子を足手まといに感じたことは、ほとんどない。塩が足りな...
ぼくは、恵子を愛していたと自信もっていえるが、食欲の前に...
◆泣き出すと背負って表へ出る。もう蛍もいない
恵子はやがて、夜、ねむらなくなった。たぶん、空腹のためで...
恵子の生命力は、きっと強かったのだろう。骨と皮になっても...
夜、ほんの二十分ほど寝ると、たちまち火のついたように泣き...
手記が掲載された『婦人公論』1967年3月号 表紙・誌面
泣き出すと背負って表へ出る。もう蛍もいない。養父母の死を...
ぼくは、いくら赤ん坊でも、痛さが身にしみると泣きやむのか...
この時、ぼくは自分で顔のあおざめるのがはっきりわかった。...
◆恵子にしてやれなかったことを…
西宮にもいられず、福井県春江に、ぼくたちはながれていき、...
動かない、息をしてないとわかった時、紀久子の死の際の養父...
近くの寺の坊主を頼み、形ばかり経をあげてもらい、紀久子は...
棺は座棺で、燃えにくいからと着物をはがれた恵子の、まさに...
恵子にしてやれなかったことを、ぼくは麻央にしている、とい...
あの昭和二十年の夏、十四歳の少年が、一年三ヵ月の赤ん坊を...
麻央がゴーフル、クッキー、チョコレートを食べあらし、さて...
タイムマシンがあったら、今あるお菓子をみんなかかえて、恵...
ぼくはだから、いい父親ではない。ぼくのような経験は、やは...
はかなくみじめに死んでしまった二人の妹のイメージが、どう...
いったいいつまで麻央をかばっていられるか、不安が常にある。
どんな環境におかれても、やさしい心だけは失わぬそしてその...
今のところ、ぼくが娘にしてやれることはこれ以外にない。
『婦人公論』1967年3月号に「プレイボーイの子守唄」
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*野坂昭如 [#x09cd663]
#ref(03.jpg,, 日本の首領 野望篇(1977年) 蓑輪良行役)
野坂 昭如
のさか あきゆき
1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成27年)12月9日(85...
神奈川県鎌倉市
早稲田大学第一文学部仏文科抹籍
作家
日本レコード大賞作詞賞(1963年)
直木三十五賞(1967年)
#ref(01.jpg)
*Add [#y3d8aa9d]
思考は好きだが、あの長文文章は苦手
神田共立講堂はよくでかけたもんたよしのり
#ref(02.jpg)
◆「昭ちゃんの妹よ、かわいがってあげてね」
かつてぼくには、二人の妹がいた。
ぼくは生まれるとすぐに、神戸へ養子にやられ、小学校五年に...
昭和十六年四月のことで、この妹は名前を紀久子といい、よく...
角力(すもう)の稽古でおそくなり、夕方、家へかえると、六...
養父母もおどろくほど、ぼくは紀久子をかわいがった。この年...
麻央のためにぼくは子守唄をつくったことがある。これは必ず...
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
悲しい涙 怖い涙
涙の一つ一つを
パパが拾ってあげるから
星のみえない空もある
花の咲かない庭もある
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでも麻央は 麻央なのさ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
さびしい夢や つらい夢
その夢の一つ一つを
パパが食べてあげるから
一人ぽっちの道を行き
冷めたい森に まよいこみ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでも麻央は 麻央なのさ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでもパパが みてるから
涙の一つ一つで
パパより大きく なるんだよ
◆「紀久子、天国へいけよ、天国へいくんだぞ」
昭和十六年十一月十四日の午後十一時、二階に一人寝ていたぼ...
ぼくは膝をガクガクふるわせながら、梯子のいちばん上に腰を...
二十分ばかりして、ふたたび玄関の戸がひびき、祖母の駈け寄...
二月三日が誕生日だから、十ヵ月余りの生命で、発育はきわめ...
まさか死ぬなどと、つゆ思えなかったから、ぼくはただ呆然と...
「紀久子は昨夜十一時四十分に死んだ。君は学校へいって、先...
「風呂へ入って、なんともちいさな麻央の骨格をみる時、これ...
このちいさな死について、前にぼくは贖罪の心といったが、当...
紀久子の死因は、急性腸炎とされ、もともと、虚弱な体質だっ...
赤ん坊がすぐに死んでしまうという脅えは、いまだに消えない...
◆子ども2人で焼跡にほうり出され
しかし紀久子は、まだしあわせであった。紀久子が死んでしば...
紀久子の記憶は、よく肥り、絵にかいたような明るい赤ん坊と...
からだはちいさかったが、恵子は病気をせず、次第に激しくな...
三月十七日、四月二十二日の空襲はまぬかれたが、六月五日の...
疎開先へ恵子を迎えに行き、そこは大阪の郊外で、やがて夏に...
◆食欲の前には、すべて愛も、やさしさも色を失った
西宮の、山の近くに部屋を借り、一度、空襲を受けたら、とて...
貯水池と、そこから流れでる小川があり、夜になると無数の蛍...
ぼく自身十四歳で、食べ盛りなのだ。水ばかりといっていい粥...
日増しに、それでなくても痩せていた恵子は、骨があらわにな...
気まぐれな隣人が、恵子に水あめを箸にまきつけてくれれば、...
恵子を足手まといに感じたことは、ほとんどない。塩が足りな...
ぼくは、恵子を愛していたと自信もっていえるが、食欲の前に...
◆泣き出すと背負って表へ出る。もう蛍もいない
恵子はやがて、夜、ねむらなくなった。たぶん、空腹のためで...
恵子の生命力は、きっと強かったのだろう。骨と皮になっても...
夜、ほんの二十分ほど寝ると、たちまち火のついたように泣き...
手記が掲載された『婦人公論』1967年3月号 表紙・誌面
泣き出すと背負って表へ出る。もう蛍もいない。養父母の死を...
ぼくは、いくら赤ん坊でも、痛さが身にしみると泣きやむのか...
この時、ぼくは自分で顔のあおざめるのがはっきりわかった。...
◆恵子にしてやれなかったことを…
西宮にもいられず、福井県春江に、ぼくたちはながれていき、...
動かない、息をしてないとわかった時、紀久子の死の際の養父...
近くの寺の坊主を頼み、形ばかり経をあげてもらい、紀久子は...
棺は座棺で、燃えにくいからと着物をはがれた恵子の、まさに...
恵子にしてやれなかったことを、ぼくは麻央にしている、とい...
あの昭和二十年の夏、十四歳の少年が、一年三ヵ月の赤ん坊を...
麻央がゴーフル、クッキー、チョコレートを食べあらし、さて...
タイムマシンがあったら、今あるお菓子をみんなかかえて、恵...
ぼくはだから、いい父親ではない。ぼくのような経験は、やは...
はかなくみじめに死んでしまった二人の妹のイメージが、どう...
いったいいつまで麻央をかばっていられるか、不安が常にある。
どんな環境におかれても、やさしい心だけは失わぬそしてその...
今のところ、ぼくが娘にしてやれることはこれ以外にない。
『婦人公論』1967年3月号に「プレイボーイの子守唄」
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