Agitator

川島芳子

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旧日本軍のスパイとして中国で情報活動に携わったとされ、「男装の麗人」として知られる川島芳子(1907~48年)の断髪前の姿を収めた写真が新たに見つかった。中国・清朝の王女として生まれ、旧制松本高等女学校(現松本蟻ケ崎高)で一時学んでおり、10代の頃に松本市などで撮られたとみられる。

松本高女を退学し、松本出身の養父川島浪速(なにわ)(1866~1949年)の下で秘書役をしていた頃という。

芳子は25年11月に突然、丸刈りにして周囲を驚かせた。阿部さんは、松本に駐屯していた旧陸軍歩兵第50連隊の将校との恋がうまくいかなかったことなどで「フラストレーションが爆発した」とみる。

 27年にはモンゴルの王族に嫁いだ。直前に開かれた送別会で「実は気が進まない。信州は良い所だし、そばがうまいから、信州に住んでそば屋の女将(おかみ)となって平和に暮らしたい」と語っていたという資料が市文書館に残る。

清朝の粛親王の第14王女として北京に生まれた。1913(大正2)年、満蒙(まんもう)独立を画策し「大陸浪人」と呼ばれた川島浪速の養女となった。清朝の再興を期し、陸軍特務機関の下で情報活動に従事。31年に満州事変が起こると、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)の妻婉容(えんよう)を脱出させるなどの工作をし、第1次世界大戦期の女性スパイにちなみ「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた。48(昭和23)年、対日協力の罪に問われ、北京で処刑されたとされる。

2024/02/20(火) 10:00配信

信濃毎日新聞デジタル


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Last-modified: 2024-02-21 (水) 09:38:56