Book

黒い雨

『黒い雨』(くろいあめ)

井伏鱒二の小説

雑誌『新潮』で1965年1月号より同年9月号まで連載 1966年に新潮社より刊行 連載当初は『姪の結婚』という題名、連載途中で『黒い雨』に改題 1966年に第19回野間文芸賞を受賞

被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』を基にした作品 主人公の名前も重松静馬の名を基にしている. 『重松日記』は井伏の死後、2001年に筑摩書房から刊行

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あらすじ

広島市への原子爆弾投下より数年後の広島県東部、神石郡小畠村。閑間重松(しずま・しげまつ)とシゲ子の夫妻は戦時中広島市内で被爆し、その後遺症で重労働をこなすことができない。養生のために散歩や魚釣りをすれば、口さがない村人から怠け者扱いされる。やるかたない重松は、村在住の被爆者仲間を説得し、鯉の養殖を始めようとする。

一方で重松は、同居する姪・矢須子のことで頭を痛めていた。婚期を迎えた彼女だが、縁談が持ち上がるたびに被爆者であるという噂が立ち、縁遠いままなのである。昭和20年8月6日朝、重松は広島市内横川駅、シゲ子は市内千田町の自宅でそれぞれ被爆したものの、矢須子は社用で爆心地より遠く離れた場所におり、直接被爆はしていない。しかし、縁談が持ち上がるたびに「市内で勤労奉仕中、被爆した被爆者」とのデマが流れ、破談が繰り返されていた。そんな折、矢須子にまたとない良い縁談が持ち上がる。この話をぜひともまとめたい重松は、彼女に厳重な健康診断を受けさせた上、昭和20年8月当時の自身の日記を取り出して清書しようとする。矢須子が原爆炸裂時、広島市内とは別の場所にいた=被爆者ではないことを証明するためだった。

しかし実際には、矢須子は重松夫婦の安否を確かめるため船で広島市に向かう途中、瀬戸内海上で黒い雨を浴びていた。しかも再会した重松らと燃え上がる広島市内を逃げ回ったため、結果として残留放射線も浴びていた。この事実を重松が書くべきか悩んでいる折、矢須子は原爆症を発病。医師の必死の治療もむなしく病状は悪化し、縁談も結局破談になってしまう。

昭和20年8月15日までの日記を清書し終えた重松は、養殖池から向かいの山を見上げ空に奇跡の虹を想像し、その虹に矢須子の回復を祈るのだった。

映画

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黒い雨

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「黒い雨」訴訟、原告全員を被爆者認定…より広範囲で降雨 7/29(水) 14:25 読売新聞

 広島への原爆投下直後に降った黒い雨で健康被害を受けたとして、広島市などの70~90歳代の男女や遺族計84人が市と広島県に被爆者健康手帳の交付などを求めた訴訟の判決が29日、広島地裁であった。原告は国が定める援護区域外にいたが、高島義行裁判長は、黒い雨を浴びて放射線の影響が想定される病気になったと認め、市と県に手帳の交付を命じた。


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Last-modified: 2020-07-30 (木) 19:01:00