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千姫

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最終的には忠刻への再嫁が決まった。本多家は徳川にとって最古参の譜代であるし、忠政の妻は千姫と同じ家康の孫娘である熊姫(ゆうひめ)だ。

徳川家とつながるために千姫を欲しがる家はいくらでもあったのだ。それなのに、なぜ忠刻に決まったのか。 それは、千姫の意志が強く働いた結果だった。実は千姫、大坂から江戸に戻る道中を護衛していた忠刻に一目惚れしたというのだ。忠刻は音に聞こえた好男子だったらしい。傷心中のウブな姫が恋に落ちてもおかしくない。そして、その心中を知った家康が、哀れな孫娘のために、身内の反対を押し切って想いを叶えてやったのだとまことしやかに伝わっている。

城に移った翌年、待望の第一子となる長女、さらにまた翌年には嫡子となる長男が生まれた。 将来の城主夫人として数多いる家臣や侍女にかしずかれ、愛する夫とかわいい我が子に囲まれる生活。おそらく、千姫の生涯の中でもっとも幸せだったはこの時期だろう。 だが、それも長くは続かなかった。 元和7年(1621)に長男がわずか3歳のかわいい盛りに死んでしまったのだ。さらに、その死が前夫・豊臣秀頼の祟りと噂され、千姫は恐れ慄いた。乱世の理とはいえ、一人生き残り幸せになってしまった自分を思えば、豊臣家への後ろめたさが沸き立つのは抑えられなかった。そこで、千姫は秀頼の霊が鎮まってくれるよう、城の北西にある男山に天満宮を建立することにしたのだ。

しかし、千姫の願いも虚しく、一家を次々と不幸が襲う。寛永元年(1624)には義父・忠政と忠刻が相次いで病に倒れた。この時は幸い二人とも快復したが、その翌々年には忠刻が再び寝付き、そのまま31歳の若さで亡くなってしまった。さらにその二ヶ月後には姑・熊姫まで息子の後を追うように世を去ったのだ。 ようやく得た幸せは、たった10年で崩れ去ってしまったのである。

墓は江戸の傳通院、命を助けた秀頼の遺児が尼門跡となった茨城の天樹院弘経寺、そして京都の知恩院にある。

(豊臣秀頼の正妻、千姫。姫路城に住んだ女の恋と悲劇 門賀美央子)



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Last-modified: 2021-09-10 (金) 09:11:00