Movie

十七人の忍者

17_00.png
 

十七人の忍者

寛永8年12月(1632年1月)。江戸城。公儀隠密三之組組頭の伊賀流忍者・甚伍左(じんござ)は、駿河大納言・徳川忠長らによる謀反計画を未然に摘発するため、計画の証拠となる連判状を駿府城から奪取するよう老中・阿部豊後守に命じられる。甚伍左以下16名の忍者たちは数班に分かれて駿府を目指し、甚伍左の妹・梢は連絡係として江戸に残った。その後、将軍・徳川秀忠が死去し、解決を急ぐ老中・阿部は待機中の梢に駿府への合流を命じる。

駿府城は先手を打ち、根来衆忍者の才賀の指揮によって警備を厳重に固めており、伊賀者16人のうち8人は次々と捕らわれ、倒される。これ以上の襲撃はないと見た駿府の重臣たちは、帰国が近い忠長の警備に人員を割くため、連判状を本丸からより警備の容易な鬼門櫓に移すことを決める。伊賀の手の内をよく知る才賀はそれを不安視するが、雇われの兵法家である才賀に決定を覆す権限はなく、しぶしぶ方針に従う。やがて才賀は公儀隠密三之組および甚伍左の隠れ家に関する情報を受け取る。その情報には「組は甚伍左ならびに15名」と書かれ、公職についていない梢の存在が考慮されていなかった。才賀らは甚伍左の隠れ家である城下の寺院を急襲。甚伍左は両足を砕かれ、駿府城内の鬼門櫓にある牢に囚われの身となる。

梢を加えた8人の伊賀者たちは、意を決して堀から城内に忍び込むことを決める。伊賀者たちは次々と倒されて半四郎・文蔵・梢だけが生き残り、城内に入りそびれた梢は才賀に捕まる。半四郎と文蔵は塩蔵に潜み、藩士による「隠密はあと1人だ」との叫び声を聞く。才賀らが「忍者は総勢16人で、潜伏者は残り1人」と思い込んでいることをさとった半四郎と文蔵は、彼らの錯誤に乗じて策を練る。文蔵が決死のおとりとなっている隙に、駿府にとって「未知の17人目」となった半四郎は梢を助け出し、ともに才賀を倒す。歩行不能となっていた甚伍左は、ひそかに牢を抜け出して盗み出した連判状を這って2人に託し、才賀にとどめを刺して自身も力尽きる。半四郎と梢は駿府城を脱出し、秀忠死去の報告のため駿府へ向かう途中の阿部に連判状を届け、そのまま江戸に戻らずに伊賀に帰る。

配役


17_01.png
 
17_02.png
 
17_03.png
 

Add

17_04.png
 
17_05.png
 
 

添付ファイル: file17_05.png [詳細] file17_04.png [詳細] file17_03.png [詳細] file17_02.png [詳細] file17_01.png [詳細] file17_00.png [詳細]

トップ   編集 凍結 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-05-04 (水) 23:01:00