Movie

突入せよ!あさま山荘事件

asm00.png
 

1972年2月19日、長野県軽井沢町。過激派連合赤軍メンバー捜索のためパトカーで警戒中だった、長野県警察機動隊は複数人の真新しい足跡を見つける。足跡がさつき山荘に続いていることから、パトカーに木戸隊員を残し偵察に向かうが過激派の急襲を受けてしまう。過激派は、あさま山荘に侵入し管理人の妻を人質に立て籠もってしまった。そのころ、英国のSASから爆発物処理の研修を終え帰国した警察庁警備局付の佐々淳行警視正は、後藤田正晴警察庁長官から呼び出される。後藤田は長野県警の野間本部長は過激派鎮圧警備に不慣れであるため「ちょっと行って指揮してこいや」と言う。しかし佐々の年次では県警本部長の代理ができないため、警備局外事調査担当参事官の丸山昂警視監を団長とする指揮幕僚団を編成し長野へ向かわせることを決定する。犯人逮捕にあたり後藤田は、"過激派メンバーの生け捕り"、"人質の無事救出"、"銃器使用は警察庁の判断"などの方針を託し指揮幕僚団を送り出す。軽井沢に到着した佐々たちだが、縄張り意識の強い長野県警との対立や無線の不備、果ては民間人に死者を出してしまうなど苦境に立たされる。全国が注目するあさま山荘事件を解決し、人質を救出することができるのだろうか。

佐々たち警察と過激派連合赤軍との闘いが始まった。

キャスト

asm01.png
 
asm03.png
 
asm02.png
 

人質

人質の夫

過激派 連合赤軍メンバー

スタッフ

Add

本人への配慮から、人質夫婦と長野県警関係者(佐々ら警察庁及び警視庁組と比較して大規模警備に不慣れで、体面ばかりを重んじる官僚として戯画的に描かれている)と犯人の名前を変えている。同様に、鉄球作戦に参加したクレーンを所有していた会社名、オペレータの風貌も実際とは異なっている。クレーン車も実際には社名の標記は無かった。 機動隊の車両として登場する警視庁の特型警備車は消防車を改造したものだが、実際より小さく、形状・塗色も若干異なる。また機動隊の輸送車(マイクロバス形)に1990年代になって製造が開始された日産・シビリアン(もしくはOEMのいすゞ・ジャーニー)を極力当時の車両らしく仕立てたものが登場する。さらに、機動隊員の装備品も当時存在しなかったものが一部使われている。 機動隊員の出動服には、実際のものとは色調が異なる布地が用いられている。 突入のシーンにおいて突然雪が降ったりすぐに晴れたりと天候が頻繁に変化している。実際の事件の際には天候にそれほどの変化はなかった。 爆発物処理の手当てが農林水産省の技官の危険手当てよりも安い、と会話する場面があるが、農林水産省の設置は事件が発生した1972年から6年後の1978年である(事件当時は農林省)。また、警察官など『公安職』の基本給が、技官など『行政職』よりも高く設定されている点(言い換えれば、普段の基本給にも危険手当が含まれている点)についても言及されていない。 作中に「雪国まいたけ」の段ボール箱が登場するが、同社がマイタケの出荷を始めるのは1983年のことである。 映画の最終盤において、警察庁の兵頭参事官が警備の実施状況について指揮幕僚団を酷評しているが、これは事件当時の警察庁内に存在したと噂される評価を集約したものである。実際にそのような意見が存在したかはわかっておらず、兵頭参事官という人物も架空のキャラクターである。 警察官の階級章表示で警視庁と警察庁関係者は実際と同じであるが、長野県警側に至っては「長野県警警備部長が警視の階級章ですが、警視庁の警備部長なら警視監であるが県警であっても警視正若しくは警視長のはずである」「軽井沢警察署長が警備部長より上の警視正の階級章である」「長野県警機動隊長は略帽は警視の白線であり正しいのだが出動服の階級章は警部である」

 

添付ファイル: fileasm03.png 4件 [詳細] fileasm02.png 1件 [詳細] fileasm00.png 2件 [詳細] fileasm01.png [詳細]

トップ   編集 凍結 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-03-06 (日) 15:42:00