Movie

笛吹童子

fd00.png
 

ストーリー

時は室町時代、応仁の乱のころである。丹波国の満月城の城主、丹羽修理亮は野武士に攻められ、城は落ちた。彼には20歳そこそこの2人の息子がいる。兄は萩丸、弟は菊丸。武芸に秀でた萩丸は敢然と立ち向かうが、弟の菊丸はちがった。「武士なれば戦もしなければならぬ。戦いはいやだ。わたしは武士をすてて面作りになる」と言い残して都に暮らし始める。菊丸は笛の名手である。笛の音で濁りや汚れに満ちた人の心を洗うのであった。笛は師から伝わる名笛、春鶯囀(しゅんおうてん)。人々は彼を笛吹童子と呼んだ。

fd01.png
 

小説

北村 寿夫(きたむら ひさお、1895年1月8日 - 1982年1月3日)脚本家、児童文学作家。 東京出身。本名・寿雄。早稲田大学中退。小山内薫に師事、『劇と評論』同人となる。1936年NHK文芸部主事。戦後1952年から「白鳥の騎士」に始まる「新諸国物語」を五年連続してラジオ放送し、「笛吹童子」「紅孔雀」などがヒットして映画化。 二男は画家の北村芳文(きたむら よしふみ、別名:花船長、1943年5月12日 - )。2018年7月にテレビ東京の番組『家、ついて行ってイイですか?』に出演、自宅で『七つの誓い』の生原稿など父親の遺品を披露

映画

『新諸国物語 笛吹童子』 1954年(昭和29年)4月公開。東映製作、東映京都撮影所作品。第一部公開後、週替わりで全三部作が順次公開。

新諸国物語 笛吹童子 第一部どくろの旗

配役

fd02.png
 

Add

本作が公開されるまでの東映は、前身の東横映画時代からの不調がどん底で[23]、当時本社のあった渋谷界隈では、赤ちょうちんの一杯飲み屋でも「東映の社員にツケで飲ますな」と言われたほどだった[23]。ところが錦之介の人気爆発と共に、製作する映画が次から次へと大当たりし、一気に息を吹き返した[23]。こうなると現金なもので、渋谷はもとより、銀座、赤坂、六本木あたりまで「お勘定はいつでも結構ですから」と東映社員を大歓迎した[23]。また京都での錦之介のモテっぷりは、錦之介を中心に地球が回っているかのような騒ぎで、両手に祇園の舞妓を抱いてザブンと風呂に入ったなどの伝説も生まれた。

新諸国物語 笛吹童子 完結篇 満月城の凱歌


添付ファイル: filefd00.png 2件 [詳細] filefd02.png 2件 [詳細] filefd01.png 2件 [詳細]

トップ   編集 凍結 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-02-05 (土) 15:46:00