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松川事件

1949年8月17日 東北本線(金谷川村)で起きた列車往来妨害事件 死亡者: 乗員3人 20人が逮捕・起訴 犯人: 不明(時効後自白1名、真偽不明)

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松川事件

製作=松川事件劇映画製作委員会 製作資金4,500万円はすべてカンパ

1959年8月10日、最高裁判所が仙台高等裁判所の二審判決(1953年12月22日、17人が死刑含む有罪、3人が無罪)を破棄し、仙台高裁に差し戻した翌日の8月11日に開催された「松川事件対策協議会」の第7回全国代表者会議(1959年8月11日)で、『劇映画』製作を決定

1961/02/08 

11巻 4,439m 白黒

1949年9月の初旬のある日、警察署で本間刑事による青年Aへの取り調べが始まる。8月に起きた列車転覆事件の見込み捜査の一環であった。Aは、拷問や脅迫等に耐えきれず、すでに警察官、検察官によって筋書きがつくられ、その通りの虚偽の供述書を認めることになった。この自白にもとづいて、国鉄労働組合から十名、東芝労組から十名が次々と逮捕された。同年12月5日、福島地方裁判所での第一回公判でAは冒頭から供述書の自白内容を翻して、無実を主張した。

公判では様々な矛盾点が明らかにされたが、1950年12月6日、死刑五名、無期懲役五名を含む全員に有罪の判決が下った。1953年12月22日、仙台高等裁判所における第二審判決は、三名をのぞいて全員有罪。被告たちは、新しい証拠の存在をたよりに全員無罪を求めて運動を続ける決意を固めた。

製作:伊藤武郎 糸屋寿雄

監督:山本薩夫

脚本:新藤兼人 山形雄策

撮影:佐藤昌道

音楽:林光

美術:久保一雄

録音:安恵重遠

照明:鈴賀隆夫

出演:小沢弘治 宇野重吉 宇津井健 永井智雄 北林谷栄

CAST

判決

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1949年8月17日 死亡者: 乗員3人 犯人: 不明(時効後自白1名、真偽不明)

1950/12/06[第一審 福島地裁]

----------死刑--無期--15年--13年--12年--10年---7年---3年6月---無罪
第一審-----5-----5-----1------------3-----2------3------1--------0

1953/12/22[第二審 仙台高裁]

----------死刑--無期--15年--13年--12年--10年---7年---3年6月---無罪
第二審-----4-----2-----2-----1------------3------4------1--------3

1959/08/10[最高裁判所] 2審判決を破棄、仙台高裁に差戻.(評決は7対5)/「諏訪メモ」と呼ばれる証拠が新たに提出

1961/08/05[仙台高裁](差し戻し審) 全員無罪

1963/09/12[最高裁] 検察による再上告を棄却 全員無罪確定

+  さらに詳しく

真犯人

捜査当局は当初から労働組合員の犯行のシナリオを描き、周辺にいた少年を別件逮捕したうえで、脅迫や拷問まがいの取り調べで自白を強要し、それに基づいて20名の被告を起訴した。また、真犯人に関する目撃証言なども多数あったが、警察署の担当者はむしろ真犯人を安全に逃亡させる協力をしたのではないかと思える動きをしていた。この事件は人為的に列車を転覆させたものであり、真犯人がいたはずである。しかし、捜査当局が無実の被告を自白の強要によって逮捕起訴し、14年間の裁判で被告全員の無罪が確定したが、その間、真犯人は逮捕されないままに事件は時効となり真相は謎のままになったため、真犯人や事件の真相に関するさまざまな説が論じられている。有力な説は、「日本共産党支持層であった東芝社員らの労働運動を弾圧するために、GHQや警察が仕組んだ謀略である」というようなものである。事故直前に現場を通過する予定であった貨物列車の運休、警察があまりにも早く現場に到着した点や、事件後に現場付近で不審人物を目撃したという男性の不審死などの不可解な部分があると言われており、これらを元に謀略の可能性が指摘されている.

事件から20年経った1970年(昭和45年)7月、中島辰次郎が『アサヒ芸能』上で事件の真犯人であると告白、国会でも取り上げられたことがある。中島はキャノン機関のメンバーとともにレールを外した工作の経緯を詳細に語ったが、信憑性を疑う見方も多く真偽は不明.

「真犯人」からの手紙

1958年11月、被告側弁護団の一員だった松本善明宛てに、「私達は現犯人」(原文ママ)と記した手紙が届いた.「私達は福島列車転覆事件を実際にやった私達今(原文ママ)、被告として裁判に付されている方々本当に申し譯なく思います」などとあり、事件に関わったのは7人で、名古屋(3人)、前橋(2人)、岡山(2人)にいるとし、さらに「事件には当時の共産係ニ名に関係して居ります」と記されていた.また、手紙が愛知県名古屋市熱田区から出されたことが封筒の裏面に記載されていた.

弁護団はジャーナリストなどとこの手紙を調査、名古屋市熱田区の旅館で書かれた可能性があることを突き止めた.手紙の筆者は、年齢当時35歳以上、高等小学校卒、文章をほとんど書かない、肉体労働に従事、東日本出身(東北地方か北海道)で、若いころから外国で生活していたという人物像が浮かんだ.

事件当時、松川駅の方から歩いてくる9人の背の高い男が目撃されており(『にっぽん泥棒物語』で映画化)、「真犯人」からの手紙の人数と一致し、手紙の信用性を「決定的に高めた」としている.手紙を受け取った松本は「これは本物だ」と第一印象を述べている.

推理小説作家の推理等

松本清張の推理
推理・松川事件-真犯人への視点(改題:推理・松川事件、1949年8月)

高木彬光は松本善明宛ての手紙を真犯人からのものと断定、事件は命がけで固い同志的結束が必要なこと、文章には軍人的固さがあることから、シベリアからの引揚者で「民主化グループ」に強い恨みがある者たちと考えた.高木は文章中2か所ある「日本人として」という言葉に注目し、犯人は帰国した日本が赤化目前に見え、事件に関与したが、無実の人間が死刑になることから「日本人として」の良心が手紙を書かせたと推理.

「諏訪メモ」:当時の国鉄と東芝松川工場の労働組合員たちが「列車転覆」を「謀議」したという1949年8月15日に、その中心人物とされて死刑判決を受けた佐藤被告が、じつは東芝の団体交渉に出席していたことが記された「日記帳」のことです。書いた主は、当時東芝の工場の事務課長補佐をしていた諏訪親一郎氏。団体交渉の様子を大学ノートに出席者の名前などともに書き込んでいたのです。そこに佐藤氏の名前が明記してありました。じつは、検察はこの検察にとっては不利な証拠を入手しながら意図的に隠していたのです。これをスクープしたのが当時毎日新聞の新人記者。最高裁が弁護団の要請によって「提出命令」を出し、全容が明らかになりました。検察はこの重要資料を隠しつつ、佐藤氏が団体交渉に出席しながら「謀議」にも参加したように見せるため、他の被告の供述を変更させるなどの小細工までしたことがバレ、「結局は検察側主張の命取り」になり、差戻し審で全員無罪になる一歩を築いたのでした(伊部正之『松川裁判から、いま何を学ぶか』岩波書店 2009)

Book

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新版 松川裁判 木鶏社 要旨(「BOOK」データベースより)

1949年福島県松川で起きた列車転覆事件。20人の青年が逮捕され死刑や無期など宣告された。広津和郎は彼らの無実を証明しようと約5年にわたり「中央公論」に判決文批判を書きつづけた。調書や公判記録を綿密に調べ、被告や証人と裁判官・検察官・弁護士との質疑応答を一つ一つ検証するという実証的な方法は今もなお有効な手段である。重い内容、鋭い筆法ながら推理小説を読むような面白さをもそなえている。「公正な裁判」を願い「裁判は国民のもの」と言いつづけた広津和郎の裁判批判の歴史的書!!漢字の一部をひらがなにし、くわしい年表・解説をつけ、若い世代にも読みやすく編集。

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日本の黒い霧:松本清張、文春文庫

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伊部正之『松川裁判から、いま何を学ぶか』岩波書店 2009

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旧版 愛読書

廣津 和郎(ヒロツ カズオ) 明治24年(1891)作家広津柳浪の次男として東京牛込に生れる。早稲田大学在学中に舟木重雄、葛西善蔵らと「奇蹟」を創刊。大正6年(1917)「神経病時代」を発表し以後小説評論等はば広く活躍する。昭和27年(1952)から松川事件に関心を抱き昭和29(1954)年4月から昭和33年(1958)10月まで「中央公論」誌上で4年7ヶ月にわたり松川裁判第二審判決文を詳細に批判する。公判傍聴・現地調査や全国を講演してまわるなど昭和38年(1963)の無罪判決まで被告らを支援しつづけた。昭和43年(1968)逝去。享年76歳

松川記念塔

事件が起きた地点は東北本線金谷川駅と松川駅の間

時効を迎えた1964年8月16日午後2時から、事故現場から約150メートルほど離れた線路脇で合同慰霊祭が開催.この慰霊祭には捜査関係者や遺族など約100名が集まった.慰霊祭のあと、午後3時から同じ場所で慰霊塔(松川記念塔)の建設着工式も開催.

にっぽん泥棒物語

松川事件の1960年9月16日の第18回差し戻し審公判(仙台高等裁判所)に実際に弁護側証人として出廷し、事件当日に事件現場付近で「九人の男と出会った」との目撃談を語った元窃盗犯2名の証言と事件の史実に基づいて構成されたコメディ仕立てのフィクション 製作=東映(東京撮影所) 1965/05/01 11巻 3,209m 白黒 シネマスコープ 企画:植木照男 宮古とく子 監督:山本薩夫 脚本:高岩肇 武田敦 撮影:仲沢半次郎 音楽:池野成 美術:森幹男 録音:小松忠之 照明:桑名史郎 出演:三国連太郎 佐久間良子 伊藤雄之助 江原真二郎 緑魔子 市原悦子 千葉真一 西村晃 北林谷栄

1971/10/07 19:47:49 ID:

松川事件の被告の姓とよく似た人wと所帯をもった、せめてものお詫びのつもりw

赤間被告にゃ、犯人役は荷が重すぎた、警察も人を精査・吟味しないと

日東紡がここにもあったか


添付ファイル: file28A2AE11-4029-4C2B-A001-60FDF522D7D3.jpeg 7件 [詳細] filemjk02_n.jpg 9件 [詳細] filemj_n.jpg 4件 [詳細] filemj.jpg 2件 [詳細] filehk.jpg 8件 [詳細] filenk.jpg 6件 [詳細] filemjk.png 9件 [詳細]

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Last-modified: 2020-10-14 (水) 17:56:00