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タリシヒコ

History/タリシヒコ

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タリシヒコ

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多利思北孤(たりしひこ)は、『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」で記述される倭国王

 1.倭国の王は日本の天皇とは別にいて、その人物が使いを送ったと考える。

 ➁.実質的な王は、蘇我馬子であり、彼が使いを送ったと考える。

 3聖徳太子がタリシヒコである(私は昔教科書でそう覚えました)と考える。

 4.タリシヒコはただ天皇を表す言葉(尊称)だと考える。

 511世紀に成立した新唐書には、アマ・タリシヒコは用明天皇のことだと記録されているのでそう考える。 といったような論法があるようです。

聖徳太子の妻だった橘大郎女は太子の死後作ったといわれる国宝「天寿国繍帳」で、欽明天皇のことを「治天下天皇」といい、、推古天皇のことを単に「天皇」、そして聖徳太子のことを「我が大王」の尊称で記しています。

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そもそも聖徳太子が蘇我馬子、征服者が墓までおばき後味が悪いもんだから怨霊でもおそれたのか、馬子のかわりに聖徳太子という人物をでっちあげ空白期間をうめた・・・との説を本稿はとっている、ふー。


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Last-modified: 2020-01-26 (日) 00:00:00