Singer
森田童子†
森田 童子(もりた どうじ)
1953年01月15日- 2018年04月24日(65歳没)心不全
東京都出身
(札幌のコンサート会場で配布されたチラシ「森田童子ラフスケッチ」によると、1952年青森生)
1970年 高校中退
シンガーソングライター
本名:非公開
活動期間
1973年 - 1983年
レーベル
ポリドール
(1975 - 1979)
ワーナー・パイオニア
(1980 - 1983)
事務所:
小澤音楽事務所
海底劇場
芸名は笛吹童子に由来
夫:前田亜土(イラストレーター、元マネージャー)2010没
Works†
Album
- 1st GOOD BYEグッドバイ 1975年11月21日 ポリドール・レコード LP・CT
- A1 早春にて (In early spring) 3:15
- A2 君は変わっちゃったネ (You change the value chatter) 3:00
- A3 まぶしい夏 (Bright summer) 3:05
- A4 雨のクロール (Rain crawl) 1:57
- A5 地平線 (Horizon) 6:23
- B1 センチメンタル通り (Sentimental Street) 3:39
- B2 淋しい雲 (Lonely cloud) 3:21
- B3 たんごの節句 (Boys’ your tan) 3:21
- B4 驟雨 (Sudden shower) 3:04
- B5 さよならぼくのともだち 4:27
- 2nd マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか= 1976年11月21日
- A1 ぼくたちの失敗 (Our Mistake) 3:22
- A2 ぼくと観光バスに乗ってみませんか (Let’s Take Sightseeing Bus With Me) 3:14
- A3 伝書鳩 (A Carrier pigeon) 3:26
- A4 逆光線 (Back Ligh) 2:39
- A5 ピラビタール (Pirabital Mesmerism Medicinel) 3:38
- B1 海を見たいと思った (I Thought I Wanna See A See) 2:50
- B2 男のくせに泣いてくれた (He weeped for me) 3:18
- B3 ニューヨークからの手紙 (Letter from NY) 2:54
- B4 春爛漫 (Best Spring) 2:42
- B5 今日は奇蹟の朝です (Today is the Miracle Morning ) 5:17
- 3rd A BOY ボーイ 1977年12月10日
- A1 蒼き夜は (Blue Night) 4:02
- A2 君と淋しい風になる (I become a lonely wind with you) 2:44
- A3 ふるえているネ (You are trembling) 4:37
- A4 ぼくを見かけませんでしたか (Don’t you see me) 4:22
- A5 セルロイドの少女 (The girl of celluloid) 2:58
- B1 淋しい素描 (A lonely rough sketch) 3:45
- B2 ぼくが君の思い出になってあげよう (I will become your memory) 3:35
- B3 G線上にひとり (In G line) 3:35
- B4 終曲のために第3番「友への手紙 (No. 3 for Finale ‘ Letter for my friend’ ) 4:46
- LIVE 東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 1978年11月1日
- 4th ラスト・ワルツ 1980年11月20日 ワーナー・パイオニア
- 1. 赤いダウンパーカーぼくのともだち –
- 2. 菜の花あかり
- 3. 海が死んでもいいヨって鳴いている
- 4. グリーン大佐答えて下さい
- 5. みんな夢でありました
- 6. きれいに咲いた
- 7. たとえばぼくが死んだら
- 8. ラスト・ワルツ
- BEST 友への手紙 森田童子自選集 1981年9~10月頃 CT
- 5th 夜想曲 1982年11月20日 LP・CT
- 1. 蒸留反応
- 2. 淋しい猫
- 3. ぼくは16角形
- 4. 麗子像
- 5. サナトリウム
- 6. 船がくるぞ
- 7. 孤立無援の唄
- 8. 哀悼夜曲
- 9. ラスト・ワルツ
- 6th 狼少年 wolf boy 1983年11月30日
- 1. 愛情練習(ロシアン・ルーレット)
- 2. ぼくを見つけてくれないかなア
- 3. ぼくは流星になる
- 4. 151680時間の夢
- 5. 球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)
- 6. ぼくのせいですか
- 7. 憂鬱デス
- 8. 狼少年・ウルフボーイ
Single
- 1st さよならぼくのともだち/まぶしい夏 1975年10月21日 ポリドール
- 2nd ぼくたちの失敗/ぼくと観光バスに乗ってみませんか 1976年11月21日
- 3rd セルロイドの少女/蒼き夜は 1978年3月1日
- 4th ラスト・ワルツ/菜の花あかり 1981年1月25日 ワーナー・パイオニア
- 5th ぼくたちの失敗/男のくせに泣いてくれた 1993年1月25日 ワーナーミュージック・ジャパン
- 6th たとえばぼくが死んだら/ラスト・ワルツ 1993年10月10日
- 7th ぼくたちの失敗/蒸留反応 2003年2月5日 東芝EMI
TV
- 青春の日本列島〜森田童子 ラストワルツ〜 (1980年、東京12チャンネル)
Add†
研ぎ澄まされてたちまち壊れそうな彼女の感性が怖かった
ロフト創業者が見たライブハウス50年
フラッと現れた森田童子の暗くて沈んだ歌声に恋心を抱いた
公開:20/12/07 06:00 更新:20/12/07 06:00
日ゲ
1973年の秋というよりも、夏の終わりと言った方がいいかもしれない。その年の6月に西荻窪ロフトが北口商店街の一角にオープンした。秋口に入っても残暑が厳しく、店前の(東京)女子大通りの打ち水が、キラキラと光り輝いていた。
森田童子がふらっと現れて「すいません、私もここで歌えますか?」と聞いてきた。彼女のトレードマークとなったサングラスも掛けてなかったし、クルクルのカーリーヘアでもなかった。まるで少女のようだった。
学園紛争で高校を中退し、72年の友人の死をきっかけに自作自演で歌い始めたというが、それにしても<革命を叫びながら機動隊にやみくもに突撃していった>私自身の全共闘運動時代の原風景を想起させる歌に「この少女の過去に何があったのだろうか?」と思わないではいられなかった。
暗くて、そして沈んだ歌声。そう言われていたが、個人的にはちょっと違う。あくまで<あの独特の雰囲気>が、そう思わせたのだろう。後で知ったが、恋人が学生運動中に自殺したという。
彼女は、いつもロフトのステージの上で涙を流しながら歌っていた。
私は、森田童子に恋心を抱いていた。
当時のテレビドラマの主題歌は、大半がレコード会社とのタイアップだった。
ところが「高校教師」の脚本を書いた野島伸司さんはタイアップを断固拒否。一部狂信的ファンはいたが、まだ無名の存在でしかなかった歌い手の曲を採用した。
新たにベスト盤が発売され、オリジナルアルバム7枚がCDで再発売された。森田童子の再デビューを期待する声が湧き上がり、中には「古巣のロフトで彼女のライブが実現したら凄いことになりますね」と言ってくる人もいた。が、彼女はかたくなに再デビューに背を向け、その素顔をさらすことはなかった。
1973年に西荻窪ロフトでライブハウスデビューを果たした森田童子は、10年後の83年12月に新宿ロフトのステージに立ち、これを最後に引退した。さらに10年後。彼女の旧作「ぼくたちの失敗(76年)」のCDが、100万枚に迫る大ヒットを記録した。TBS系の金曜ドラマ「高校教師」(93年1~3月放映)の主題歌に採用されたのだ。
67年の羽田闘争で京大生・山崎博昭さんが命を落としたことを契機に高校生だった彼女は学生運動に深入りし、そして恋人だった大学生のO氏が自殺してしまう……。
ロフトのステージで森田童子は、決して上手じゃなかったギターを弾きながら、ボロボロと涙を流しながら歌っていた。
80年代に入るとメッセージソングは絶滅危惧種となり、ロフトのブッキング担当者に「森田童子なんか入れたら業界の笑いものになります」と言われ、絶句したことを鮮明に思い出す。
2020/12/21
「ワラシ」森田童子の引退ライブはまるで葬式のように静かだった【ロフト創業者が見たライブハウス50年】
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私が「ワラシ」と呼んだ森田童子は、とても不思議な女性だった。リハーサルを終え、本番までの間に西荻窪ロフトの隣の喫茶店に行き、2人でおしゃべりすることがあった。
一緒にアルコールを飲んだことは一度もないから……飲めなかったのだろう。定かではないが。
いつも彼女にこう問うた。「君の歌を聴いているとそれなりに想像はつくが、君の過去に一体何があったんだ?」。いつもニコニコするばかりでワラシは、何も答えようとはしなかった。政治的な話もしなかった。彼女の心情は、ステージから類推するしかなかった。
それでも少しずつ、口を開いてくれるようになった。マネジャーの話題になったことがある。
後に彼女のダンナとなるマネジャーのMさんとレコード会社は「明るくて万人受けする曲」を作ってメジャーの仲間入りを狙っていたが、ワラシはかたくなだった。
新宿ロフトでの引退ライブ。初期の曲をメインに選び、いつものように客席は静かだった。
彼女が「この曲を最後に歌手生活に終わりを告げることにします」と話しても、店内はまるで葬式のようにシーンとしていた。選曲自体、最後のこだわりだったと思う。
ライブの後、いつものようにレコード即売会を開いた。ファンの差し出すレコードすべてに長いメッセージを丁寧に書き込んでいた。これも見慣れた光景だった。
亡くなる前年の17年のころから体調を崩し、入退院を繰り返していたと聞いた。76年リリースの「ぼくたちの失敗」が93年にテレビドラマのテーマ曲に採用され、瞬く間に100万枚の大ヒットになっても、ワラシは素顔も本名も明かさず、ひっそりと生きていた。
森田童子の歌声はか細く、柔らかく、幻想的だった。彼女がステージで流す涙が、あまり話題にならなかったのは、ステージの暗く落とした照明のせいだったのか……。
日刊ゲンダイDIGITAL
(平野悠/「ロフト」創業者)
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平野悠
「ロフト」創業者
1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。
2020/01/05 mainichi
1970年代から80年代前半に活躍し、素顔を見せることなく、ライブハウスを中心に若者の人気を得た伝説のシンガー・ソングライター、森田童子をご存じだろうか。2018年春に亡くなって2年。この春の三回忌に合わせて、「政治の季節」の若者の思いを映した、童子の悲しくて優しい歌の世界を映画化する企画が立ち上がった。同じ世代で若い頃に童子の影響を受けた高橋伴明監督がメガホンを取り、童子さんの世界を愛する俳優の佐伯日菜子さんが出演を快諾した。
2015年9月公開 映画『GONIN サーガ』==『ラスト・ワルツ』挿入歌
1993年1月 テレビドラマ『高校教師』主題歌
レコーディングの編曲は、アコースティックギター奏者の石川鷹彦(元六文銭)などが担当