TV/ブラック・ジャック

映画(宍戸錠版)

 
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1977年11月26日公開。制作はホリプロ系のホリ企画制作、配給は東宝。正式な題は『瞳の中の訪問者』。併映作は花の高三トリオの卒業コンサートを記録したドキュメンタリー『昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発〜』。

原作漫画「春一番」の映像化だが、患者である千晶を主人公とし、BJは脇役(メインゲスト)である。手塚は原作の絵を意識し過ぎたBJ(白黒の髪、顔半分の青い皮膚)を見て「こんな人間がどこにいる!」と苦情を叫んだという。宍戸の頬の詰め物を落とす案もあった。大林は手塚から「大林さん、ヒョウタンツギは僕の恥部でもありますよ。その恥部まで出されちゃあね」と怒られたと話している。『昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発〜』と同時上映だったが、二週間で上映打ち切りになった。すると『HOUSE ハウス』のヒットを妬んだ人たちが「ほらみろ、あれが大林の実力だ」などと言い出し、大林は「これで引き下がるわけにはいかなくなった」と述べている。

DVD化、その際にレンタルも実施

ストーリー

小森千晶はインターハイを目指してテニスの特訓を続けていた。ある日、コーチの今岡の打ったボールが左目に当たった千晶を診察した医師は、回復は絶望だと今岡に言い渡す。

密かに千晶を愛していた今岡は責任を感じ、思案の末に人里離れたブラック・ジャックの家を訪ねる。自分の目を使って欲しいという今岡の言葉に、ブラック・ジャックは手術を引き受ける。手術は成功し、キャンパスに戻った千晶を、テニスでペアを組む京子が迎えた。千晶は再びテニスを始め、昔と変わらぬ生活を送れるように思えた。

ところがある日、周りの人には見えず千晶にだけ見える幻の男が現れる。心配した今岡はブラック・ジャックのもとへ行く。千晶に移植された角膜は、実は今岡がアイ・バンクから盗んだものだった。今岡の調査で、その角膜は湖で殺された若い女性のものであったことがわかる。

一方、千晶はいつしか幻の男に恋し始めていた。ある日、街角で千晶はその男を見つけ、あとを追う。男は幻ではなく実在していたのだ。殺人容疑で逮捕される今岡、実在する幻の男。千晶をめぐる謎は深まる一方であった。

スタッフ

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瞳の中の訪問者

配役

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Add

大林宣彦、長岡花火中止決定の日に死んだ(2012 映画「この空の花 長岡花火物語」制作)

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大林宣彦は『HOUSE ハウス』を作るより前に『さびしんぼう』を作りたいと、当時手掛けていたCMに出演していた誰かを主演にと探していて理想的なイメージ・キャスティングとしてはハニー・レーヌが一番ふさわしいと考えていた。大林はハニー・レーヌがヌード写真でデビューする以前、15歳のときのハニー・レーヌをソルーナのCMで一ヶ月かけて伊豆の大島で撮影していて10年ぶりの、待望の起用であった。ハニー・レーヌ版『さびしんぼう』では、彼女に恋する男の夢の出演者はヤクザ役の宍戸錠だった。その脚本には「日本殉情伝」という副題があって後の『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』の三浦友和が演じた役柄には、その想いが残像している。 元日活のプロデューサーで、かつて大林とマンダムのCMなどを作っていたホリプロの笹井英男から大林は、1974年に山口百恵初主演作『伊豆の踊子』監督の打診を受けたが断り、この年再び笹井から、「うちから片平なぎさという子をデビューさせるので、この子でブラック・チャック(笹井はよく知らなかった)、撮ってちょうだいよ」と頼まれた。大林は石上三登志とのCMの仕事でカーク・ダグラスを撮りにロスへ行く準備をしていて、笹井に「またにしようよ。俺がやらなきゃ、やめるでしょう?」と言ったら笹井が「大林さんがやめるなら他の誰かでやるよ」と言われてしまったため、「手塚治虫だろう?それは俺がやらなきゃいかん」と、結局カーク・ダグラスを先延ばしにして本作をやることになった。石上が俳優兼アドバイザーとして参加しているのはこのため。 主演の片平と共演の志穂美悦子は、シャワーシーンの撮影に大林監督に「綺麗に撮りたいから脱いで欲しい」などと口説かれた。女優を脱がす名人といわれる大林に柔らかい物腰で口説かれ1日かけて悩み続け、遂に志穂美が折れ「なぎさちゃんが脱ぐんだったら私、脱ぎます」と言った。しかし片平が譲らず、妥協策としてブラジャーの紐をちょん切り完全ガードのソフトなシャワーシーンとなった。結局、志穂美も片平同様ソフトなシャワーシーンのみとなった。片平、志穂美ともその後も脱ぐことはなく、最大の危機だった。特に志穂美は片平に救われた。片平はその後仕事のオファーが減ったという


*1 大林 宣彦(おおばやし のぶひこ)広島県尾道市東土堂町1938/01/09-2020/04/10 (82歳没)肺がん 尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退 映画監督 旭日小綬章 倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者

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Last-modified: 2020-04-11 (土) 00:00:00