秋山はジュニア時代、母の千晶さんに同行してもらい、全国各地を転戦した。ところが、父の幸二氏が監督としてソフトバンクを率いていた2012年の年明け、母の脳に重い病気が見つかる。秋山は学校に通いながら3年間、母の看病に専念するため、プロゴルファーの夢を断念した。チームの指揮を執るかたわら闘病生活の千晶さんを支えた幸二氏も14年限りで監督を退任。監督として2度目の日本一を見届けた千晶さんは同年12月、帰らぬ人となった。55歳の若さだった。
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