TV/十津川警部シリーズ(渡瀬恒彦)/33 東北新幹線「はやて」殺人事件
大原 麗子(おおはら れいこ)
1946年〈昭和21年〉11月13日 - 2009年〈平成21年〉08月03日(62歳没)不整脈による脳内出血
女優
本名:飯塚 麗子(いいづか れいこ)
東京都文京区
血液型 AB型
潤徳女子中学校、北豊島高等学校卒業
東映→1971-渡辺プロダクション移籍
夫: 渡瀬恒彦(1973年 - 1978年)→ 森進一(1980年 - 1984年)
Movie
TV
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「大原麗子 炎のように」(青志社)
中でも、驚くのは、美容整形をして、
しかも後悔していたことだ。
そして、最後まで渡瀬へ思いを寄せ続けていたことだ。
顔にメスを入れたのは、
NHK大河ドラマ「徳川慶喜」に出演した直後で、
大原さんが53歳のころだった。
「もうすぐ2000年がくる。自分も心機一転、何か変わらなければ」と、
一重だった左まぶたを整形した。
ところが、失敗して顔が腫れて、
映画「天城越え」第2弾を降板。
その後、再手術で可能な限りに元に戻したが、
これを機に仕事が減り、自信を喪失。
晩年のギランバレー症候群につながっていったようだ。
また、渡瀬を思い続けて、晩年も渡瀬の自宅へ頻繁に電話したり、
友人に「車で渡瀬さんの家まで行ってほしい。
前を通るだけでいいから」と頼んだりしていたという。
美人女優のプライドと、1人の女性としての
本音に苦しんでいたようだ。
「不良役者 ~梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚~」(双葉社)
若い頃、俺がよく共演した女優のひとりが大原麗子だった。俺の代表作でもある「不良番長」シリーズにも何本か出てもらったし、それ以前は「いろ」「ダニ」「かも」なんて仮名2文字のシリーズ映画でも共演した。俺は女を食いものにする女衒のような役だったし、彼女は俺に弄ばれる側。
他にも「夜の牝犬」「トルコ風呂」なんてすごいタイトルの映画でも共演している(笑い)。もともと麗子は映画デビュー前から「六本木野獣会」という芸能界の遊び人グループにも入ってたくらいで、かなりはじけた女ではあったんだ。
じゃあ、手を出したんだろうって詮索されそうだけど、俺にとって麗子はストライクゾーンに入らないから。だってパイオツが全然ないだろ(笑い)。しかも、俺は同業の女には手を出さないのが基本ポリシー。でも、男女の仲じゃないから、お互い何でも話すことができた。まあ、俺にすれば妹みたいな存在だったかな。彼女も困ったことがあると、すぐに俺に相談してきた。
大原の死後、弟・政光がテレビ番組で、「姉は左目のまぶたが一重で、メイクのとき自分で二重まぶたにしていた」と告白した。